津波被害からイチゴ産地への復興。栽培面積の約9割が海水につかった宮城県南部にて、イチゴの高設栽培・観光農園ビジネスで復興へ

宮城県のイチゴ農家が東日本大震災の津波被害を機に新たな挑戦に乗り出した。亘理(わたり)町の農家は高床式の栽培手法で効率を高める。山元(やまもと)町の農家は株式会社を設立し、観光農園を目指す。津波被害で今年の作付面積は昨年に比べ8割減少したが、意欲的な農家の試みはイチゴ産地復活の弾みになると期待されている。
 
 
亘理町の農家、小野さんは9月に作付けしたイチゴ畑の表面にビニールを張る作業に追われている。雑草を生えにくくし、苗を保護するためだ。高さ1メートル10センチのラックに植えられた苗は、ちょうど小野さんの胸下の位置。かがまなくても作業できるため、畑にじかに植えていた昨年と比べ「作業効率が1.5倍に向上した」という。
 
 
以前から作業効率の改善が見込める高床式には注目していたが、初期費用の負担から導入に踏み切れないでいた。「震災を機に決断した」と小野さんは振り返る。畑は津波をかぶり、塩分濃度が高い土ではイチゴは育たない。高床式は新しい土と資材があれば今年から栽培を再開できる。初期投資は8棟で約1600万円。肥料は水に混ぜて配水管を通じて与える。小野さんは「土耕に比べて肥料の吸収が良い。年間の使用量は従来の3分の1〜2分の1で済みそう」とみている。
 
 
一方、山元町では被災農家が集まって株式会社を共同設立した。来春に観光農園の開業を目指す。山元いちご農園と名付けた会社の社長を務める岩佐さんは「従来の家族経営から脱し、収益拡大を目指したい」と意気込む。会社は4人の農家が100万円を共同出資。20アールの広さの温室8棟分の建設などにかかる費用約4億6000万円は半分は国や県の補助金、半分は金融機関からの借り入れだ。個人で多額の再建費用を負担するのは難しいが、法人化すれば調達できる資金も個人よりも増える、とのこと。
 
 
岩佐さんは「将来的には年商1億円を目指す」と目標を立てる。農業人口の減少で耕作放棄地が増えれば、イチゴ畑に転用できるとみている。作付けの拡大で地元の雇用創出にも貢献したい考えだ
 

 
宮城県南部の亘理、山元町はイチゴ栽培面積の約9割が塩水につかった。県農林水産部によると、震災前の約3割に当たる約110戸の農家が9〜10月に作付けを再開した。作付面積は20ヘクタールと、2010年の同時期より8割減少した。今年は栽培を断念した農家が多い中、新たな試みをする農家の出現はイチゴ産地復興の序章となる可能性もあり、今後の事業に期待がもてるだろう。<参考:日本経済新聞など>